狂言を鑑賞した感想

文化振興財団主催
茂山お豆腐狂言の世界


チラシ制作の流れを受け、当日の公演にご招待いただいた。
貴重な機会を与えてくださって感謝しています。

写真のパンフレットは、担当者さんがチラシの一部を利用して
配布用として作ってくださったもの。ありがとうございました。


初めての狂言鑑賞。「笑」った。
心が満たされるような笑い。本当に面白かった。

舞台には大きな「鏡松(かがみまつ)」が描かれている。
鮮やかな緑と、隆々とした太い幹に、すがすがしさを感じた。

これは奈良の春日大社の鳥居をくぐり、すぐ右側にある松がモデルだとのこと。
この松に宿る「芸能の神様」に向けて、能、神楽、雅楽、舞踊、相撲などを奉納するそうだ。

松は「鏡板(かがみいた)」に映っていので、演者の背景ではなく「正面」にあるという考え方。
つまり、神様にお尻を向けて演じているわけではない。


想像以上に内容もわかりやすく、ユーモアも自然に理解できた。

登場人物はまず「私はこの辺に住んでいる者だ」と名乗り、
「これから何何をしようとしている」と、場面設定を説明する。
場所を移動するときは、舞台を歩くことでその場面が切り替わる。

別々の場所、例えば屋敷の内と外の出来事が、同じ舞台上で同時に話が進む。
舞台を見ながら、まるで映画やテレビのコマ割りを見ているように、
脳内ではそれぞれのシーンがしっかり見えてくるのである。


また、顔を隠しているわけではないが、黒子的な存在としての「世話人」の美学。
絶妙なタイミングと無駄のない動きで、小道具や着替えのサポートをする。
しかしながら物語の登場人物としては除外され、別世界の存在として理解される。
この感性に、心の底からグッとくるものがあった。



チラシ中央に「笑」の文字を大きく扱ったのは正解だった。
正直なところ、ここまでの面白さは想像していなかった。
この空間を実際に体験しなければ、写真だけでは絶対に伝わらない世界観があった。
それは物理を超え、自分の脳によって補完される想像力豊かな世界観だ。

社会常識やルール、マナーなどの共通理解への前提、
何を恥ずかしいこととするか、善悪や倫理観が
しっかり構築された世の中だからこそ生まれる笑いであり、
非常に高度で文化的、上品で知的。
かつての日本の姿を垣間見ることができ、心が揺さぶられる。


飲食店で騒ぐバカッターやバイトテロのように、
みさかいなく人に迷惑をかけてヘラヘラする
不快極まりない「笑い」とは、明確に異質なものだ。


鑑賞を終えて改めてチラシを制作するなら
どんな表現をするだろうか。

経験は糧となり、新たな創造につながるのだ。